日々、ご縁の日々
by namamdhabud


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東北地方太平洋沖大地震に思う


自然の猛威を前にして、人間はあまりにも小さく、非力だということを、

東北太平洋側から送られる映像は、生々しくもありのままに映し出している。



福島第二原発の事故のニュースには、ただただ青ざめるしかない。


人間の想像力はあまりにも自己中心的で、その想定範囲はあまりにも小さい。

「大丈夫。安全です。」なんてどんな確証があって言っていたんだろう。


原発頼みの危険な綱渡りの上に揺れながらある、

私たちの便利な文明生活であることを、

いまさらながら思い知る。


自然に対する畏怖の念を、これで取り戻すことができたのなら、

まず今、進めている原発の建設を止めなければいけない。


「地球にやさしく」なんていってる場合じゃない。


人間は地球に巣食う「癌細胞」なのだ。

自覚しなければいけない。

巨大な自然治癒力の自浄作用が働けば、ひとたまりもない私達の営みなのだ。


原子力発電の推進は「国策」だ。

日本という「国」が、原発のこれ以上の推進を止めると、今、決めなければいけない。

私たち「日本国民」が、今、意思を定めなければいけない。

「未来の日本」をイメージしなければいけない。



何かを変えなければいけない時が来た。

何を変えなければいけないのか?

まずは自分自身の意識を、大きく変えなければいけない。

どう変えればいいのか?

まずは、いまここに生きる自分自身に、向き合うことか。

まずはそこから始めるしかないのか。




私達は、在り難くして、今在る。

日常を生きているということだけで、心底ありがたい。



まずは彼の地の友を想い、その無事を願う。 

小さくも非力な人間の、心からの願いである。



南無阿弥陀仏
by namamdhabud | 2011-03-12 23:00
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